歴史
60代の人の証言
美土代町会の数ある建物の中で、第二次大戦後も残っていたのは島津製作所のビル(内神田1-14-5現在は建替えられてる)だった。
戦時中は米軍の空襲に備え、この建物に高射砲が設置されていた。
敗戦後、進駐軍が神田警察通りから出世不動通りまでの町会の大半を接収し、しかも鉄柵でおおってしまったため、通行人の往来には大変不自由をした。
その間進駐軍は、この島津製作所のビルで実務をとっていた。
また、この敷地内には大きなもみの木があり、クリスマスになると沢山のイルミネーションが飾られて、町会の風物になっていたという。
昭和29年に接収が解除され、土地がそれぞれの地権者に戻ってからはビルが建てられ、当時の面影は残っていない。